悲しい気持ち

たった5000円でトラブルになった。

 

一方BTCは円で1000万円を超えた。金は過去最高値を更新して2100ドル台を超えている。日本だと1グラム1万円を超えている。円は一ドル150円だ。日経平均株価はバブル時の高値を30年の時を経て超えて4万円をつけたという。しかしインフレ調整した場合の株価はいくらになるだろう。ドル建ての株価はそれほどの上昇ではないようだ。ともあれ様々な値段が上がっている。

 

5000円の話にもどるが、なぜこんな些細な意見の相違だけで怒るのだろうか?なぜ質問することを批判や自分の否定と受け取るのだろうか?なぜこんな小さなことで怒るのだろうか?なぜ会話しようとしないのだろうか?なぜ意見のすり合わせや折衷をしないで、白か黒かの二項対立でしか見ないのだろうか?ゆっくり丁寧に話したがなぜ最初から喧嘩腰なのだろうか?すべて知識と経験で知ってはいるのだが悲しい気持ちが湧きおこる。

 

悲しい気持ちや達観した気持ちが去来したが、現実を受け入れる必要があるようだ。つい批判や批評になってしまうが、極端な例外を除いて人は変わらない。20歳まで身に着けた常識や知識で一生いきると言われている。

 

つまり私が変わればよいだけだ。他山の石として自らの肥やしになるのだから。耐えるべきを耐え、主張するべきをするために、ストレス耐性をつけ強くなるためにこのような5000円をめぐってのトラブルはありがたい機会を提供してくれる。これからも似たような構図はあるだろうと予想できる。視野を広くすると、ビジネスや国際政治では額の桁が全く違う。周囲に与える影響も甚大だ。意見や立場の相違をめぐって政敵の暗殺も日常にある。それに比べてなんとちっさな争いだろう。しかしちっさなことがたくさんの世界中で起こっている。

 

ともあれわたしは都会人なので多様性や民主制を尊ぶ。だからこのような人や場所と調和する選択をしない。そっと離れるだけだ。彼らも親兄弟や友人、子供や孫がいて生きてきた歴史がある。その中で自分と同じは味方、違うことを言うやつは敵としてムラの中で仲良く暮らしてもらいたい。それも美しいではないか。良い悪いではなく彼我の違いによる多様性が、生き物の全体利益になってきたのだから。

 

You are OK, I am OK だ。