疎外感

多少疎外感があるかな。

 

鳥山明さんが68歳で亡くなり世界中が哀悼の意を表している。わたしはマンガもアニメも見ないから、ドクタースランプドラゴンボールは名前だけ知っている程度だ。その悟空の声優さんに飲食店でたまたま遭遇した時も、その喜びの知人たちのテンションが全く分からなかった。

 

しかし多能性の観点からいいんじゃないか?世界中のみんなと同じところにいないからこそ、予測できないピンチやチャンスにゴールが決められるポジションでもある。外国人に日本のマンガも教えてもらえる。

 

そういえばロンドンのバッキンガム宮殿の近くに住んでいたカリビアンに、日本の地方都市を案内してもらったことがある。当時よりは英語が上手くなったが、まだまだだ。文法に文化の違いが表現されていて面白いが、本分は道具だ。さっさとAIとコラボしながら創造のために使いたい。   

 

いつまでに?どのくらい?

 

時間と定量がない希望は、ただの夢想だ。

 

疎外感や違和感は子どもの頃からだ。(おお、外は強風だ)

 

そんな役目が自然の世界から与えられているのだろう。似た者同士であれば自然や経済環境変化に脆弱でその種は滅んでしまう。だからその違いを大地に揺るがなく突き立てることとした。日本に限らず世界のどこにも同調圧力は、人間はソーシャルアニマルだからこそあるのだ。

 

日本のアニメやマンガは社会学政治学的には、文化侵略とも文化布教とも位置付けられる。以前の西洋社会の絶対の神、キリストと同様のポジションに社会の通底に共通の価値観として流れ始めている。