嫉妬の感情

国際F2レース。

 

20歳前後の世界各国から勝ち抜いてきた若い連中が世界で20シートしかいないF1の椅子を争っている。優勝者も若いが、当然カメラに映し出された彼女も若い、まるで高校生のようだ。単純に未来可能性と生殖能力の観点からうらやましく、過ぎ去ってしまったことを残念に思わずにいられない。同時に成功の階段を着実に登っているガキたちも老化する。わたしも以前20歳だった。

 

髪は抜け、色も抜け、歯も抜け、肌は垂れてきた。あんなに元気でやんちゃだったワンコの色が抜け、目が白濁し、足腰が弱った老犬のさまは他人ごとではないのだ。なくなった叔父が飼い犬の一生の変化を感慨深げに話していたことを思いだした。

 

この犬は叔父夫婦と私で、殺処分待ちの東京都の埋め立て地にあった施設でもらい受けたものだった。二人も早くに60歳前後でなくなり、その前に犬も一生を終えた。

 

しかしわたしの腹はでていない。血圧は変わらない。経験も増え、知識も増えた。心技体のバランスが整って、生きるのが比較的楽になった。トレードオフか。なくなったものと、あるものを両方見ないと不公平だろう。だから併記した。

 

もとい、前にあったものが、抜けて抜けて垂れているのだ。運転免許更新時、以前の20前後からの写真を並べてみたらまるでTHE老化だった。「残念に思う源泉は、あれもできた、これもできた、そのはずだった、だが今はそうなっていない。このギャップだろう」。それにしても人にあり、私にすでにないものを、よだれ垂らして羨んでショボくてみっともなくないか。

 

レースのスタートシーンはたった一つの卵子を目指して発射される精子のようでもある。生き残りたどり着くのは一回の射精で数億個の精子の中でたった一つだ。

 

娘時代を思い出す......

でも今はこんなに......

 

あの小さなレージーが、

いつの間に、おばあさんになってしまったの?

.......

時が情け容赦なく流れるのが感じられることがある。真夜中に起きあがることがあり、すべての時計を止める......

 

理論物理学者の「時間は存在しない」を再読しようと思って開いたらでてきた、リヒャルド・シュトラウスの楽曲とホーフマンスタールの言葉の一部を引用した。  

 

マルセル・プルーストの小説「失われた時

を求めて」も読む必要があるだろうか。一人の人間の中の小宇宙の記憶を語っているという。読むことによってわたしの中のダークマターに気づき、隠されていたダークエネルギーをさらに直視でき、爆発的なエネルギーが、噴火しドロドロ流れ始めるかもかもしれない。